Twitterやってたから半出生主義とか愚痴垢界隈とか知った
親不孝なので、高2の時に自分が半出生主義だと親の前で話した。
けど半出生主義ってべつに自分が生まれたく無かったっていうのを主張するものじゃ無いらしいから私はそうじゃ無かった。
子供は欲しいと思ったことがない。
昔仕事で病んでた父親が小学校低学年の私に、いつ死んでもいいって言ったのを思い出す。
当時、私はすごいショックだった。
高2の時の私はそれを思い出して、半出生主義が体裁の為に子供産むな❗️って思ってた。
釈迦坊主、良い
ピアスの穴軟骨に開けれるくらい痛みに強い人間になりたかったし、バイトの研修で、感じ悪い新人教育の人に注意された時に平手打ちしてクビになりたい。
欠点が特徴になってその人の良さになるみたいのあるけど、極端にそれを追い求めなきゃ、人によく評価されて気持ちよくなれない。
私は全部中途半端。一生懸命にやりたくない。
一生懸命にやらないで、英国大使館の前にあるでかい窓ガラスがはまってるビルの7階に住みたい。
地球に優しい商売で儲けたい。
大豆を使ったスイーツのビジネスか骨董品売る仕事したい。
1/1にメモしてた文
将来クリエイティブで仕事する覚悟がなかったから美大受験やめて指定校とって文系の大学行くことを決めた。
私は美しい絵画や空間に惹かれたし、それを作る時間こそ美しくて尊いものだと酔いしれていたので作品を作ることができて幸せな高校生活だった。
私の身の回りにいた人は悪く言えば協調性がなくて自分勝手な人間ばかりだったが、みんなそれぞれ自分の性格を理解して核を持って生きているところがかっこよくて好きだった。
進路を変えたことで将来どんなふうに生きるのか考えることが増えた。
GMARCH以下の大学の、資格も特に取れない学科に望んで入った。
大学に入ってから成し遂げたいことも無い。
努力を続ける覚悟もない。
私は怠惰で逃げ腰で、プライドが高い性質だ。
こんな私が多分あと6,70年続く人生をどうすれば楽に安心して生きれるか考えて疲れた。
1人で自立して生きていきたいと思うが、1人で自立するということは何も人のせいにできないということなので私には難しい。
根本的に何をしても自信が無かった。
予備校で作品を作ってそれが大きく評価された時も、人に評価された安心感の方が、良いものを作れたという満足感より大きかった。
自分の世界観を持って制作したが、なぜか作品を作ると自分が本物ではないという漠然とした不安を感じた。
それが1番辛かった。普通に作ることが向いていない。
作品を楽しんで作っていないので、作品を楽しんでつくっている人に対してのコンプレックも酷かった。
そうゆう人たちの中で将来文句垂れながらクリエイティブの仕事をするのが嫌だったので予備校を辞めた。
(大正解)
私は進路を変えてから4ヶ月も経って、こんな文を書くほど何も前に進めていないことにうんざりしている。けど自分がしてきたことに何も後悔がない。
作品を作った経験から、私の本質が分かった気がしている。
この経験ができたことは、親に感謝したい。
受け止めて、私の思う美しい人生には何が必要なのか考えて、追い求めて出来ることから少しずつ頑張ろうと思った。
けど、現世で綾野剛に飼われるネコになりたい。
父親
弟に彼女ができない事を、お前、ホモなの?と言って茶化す。
父親の、世間には理解されないが、家族になら笑いとして共有してもいいと思っているところがどうしようもない。